ピンキーリング
連続投稿になりますが、先の話とこれとは別の話です。
今日は、電車に揺られて出かけてきました。
その帰りの電車の中。
普通に固執することが 怖くてもう泣きそうだ
大好きな歌のそんなワンパートに耳を傾けていた時のことです。
隣に3,4歳くらいでしょうか、小さな女の子が座りました。
少女は私の顔を覗き込んで、正面に立つ父親らしい人に「お姉ちゃん音楽聞いてるね」と小さな発見を報告していました。
お姉ちゃん、イヤホンしてたけど、耳はいいほうだから聞こえちゃったの。ごめんね、少女。
ちら、と視界の端で少女をとらえると、父親らしき人の隣には、母親らしき人も立っていました。多分、3人は親子だったのでしょう。
少女が小さな発見をしてから15分ほどすると、車内は空き始めました。
すると父親は少女の手を引き、母親もつれて3人でちょうど私の正面あたりに腰を下ろしました。
少女、かわいいなぁ。きっと将来はもっとかわいくなるなぁ。
のほほんと、そんなことを考えながら私はもうしばらく電車に揺られて
ーふ、っと思ってしまった。
ああいう幸せは、私には縁遠いものなのだ、と。
人並みに家族を作る幸せは、私とは縁がないのだ、と。
幸せの形=家庭を築くこと、結婚すること
それは違うとわかっています。
でも、自分がどう頑張っても手を伸ばせない幸せがあることを改めて目の当たりにして、ただ純粋に、寂しくて、悲しくなったのです。
世界があたしを拒んでも今 愛の歌 歌わせてくれないかな
そんな一節に耳を傾けながら、私は電車を後にしました。
帰ってご飯を作るのも面倒だし、おかずだけ買って帰ろう。
気を取り直してそう考えた私の気分にあうおかずは、今日の駅地下にはありませんでした。
無理に食べなくてもいいか。ストックしてあるゼリーでもかじって、夕飯は抜こう。
再び考え直して、食品売り場を後にしました。
帰り道、駅構内のイベントスペースに出店が出ていました。
宝飾品五百円均一、と銘打たれたたくさんのアクセサリがきらきらするそこを通り過ぎようとして、足が止まりました。
ターコイズの指輪。
私の小指にちょうどの大きさのそれが、私の足を止めたのです。
ピンキーリングは神様との婚姻を表す。
そんな記述を見かけたのは、どこだったでしょう。
なんとなくそれを思い出した私はその指輪に、おかずになるはずだった五百円と消費税を払いました。
神様との婚姻。
調べてもいないので真偽のほどは知りません。私の勘違いだったかもしれません。
それでも、だれかとの、なにかとの婚姻って、いいなぁ。うらやましいなぁ。
そう妬む私が長い残りの人生をひとりで生きていく決意を支えてくれる何かが、ずっと欲しかった。
このピンキーリングが、そうなってくれることを願っています。
(記事中の歌詞は「命ばっかり」「アンノウンマザーグース」による)
地獄の始まり
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
もしもあなたがLGBTQに嫌悪感を覚えるなら、どうぞお帰りになってくださいませ。
嫌悪感を覚える人などいないのが1番なのですが、そういった啓蒙は、私の得意とするところではございませんから。
もしもあなたがLGBTQに理解ある人、もしくは当事者ならば、私の苦しみの記憶と記録に少しばかり付き合ってくだされば幸いです。
文章が固いのは、癖です。ブログを書き続けていけばもう少し砕けた文章が書けるかもしれませんが、職業病はそう簡単には抜けそうにもありませんので、あきらめました。
さて。
私がこのブログを開設したのは、とある醜い恋を物語るためです。
私が、今現在も苦しめられている、醜い恋です。
途中気分を害するような描写も、もしかしたらあるかもしれませんから、嫌だなと感じた時は、すぐにこのページを閉じてください。
私が彼女に出会ったのは、3年前の今頃でした。
彼女もオタク、私もオタク。一緒にオタク御用達の某店に行ったことをきっかけに仲良くなりました。
彼女のことは、仮にKとしましょう。
Kは明るく、ユーモラスで、オタクの友達もオタクでない友達もたくさんいる、活発な女の子でした。対して私は、精一杯明るく振る舞う根っからの陰気者。
でも、Kは私が新しい環境に飛び込んで初めてできた友達で、Kにとっての私もそうだったらしく、私たちはけっこう仲が良かったんです。
彼女に友達が増えていくまでは。
彼女に恋をした明確な時期はもう覚えていません。確か、2016年5月だっただろうか、という程度のおぼろげな記憶だけが残っています。
彼女と出会う前から、自分はビアンかもしれないな、と思うことはあったので、Kを好きになったこと自体は私にとっては驚くべきことではなかった。
けれど彼女はLINEで「彼氏が欲しい!!」と大暴れ(笑)することもあったので、私は恋の成就をあきらめました。
この恋は叶わなくていい。出会ってすぐお互いを仲のいい友人として認め合ったときのまま、Kの良い友人として彼女のそばにいられれば、それでいい。
そう思っていた私にとって、彼女に友達が増えていくことは、恐怖でしかなかった。
正確に言えば、最初から恐怖だったわけではないのです。
友達ができるかなぁ、と不安げに笑う彼女に友人が増えることは、私にとっても最初はとても喜ばしいことだった。
彼女から友人を紹介された時だって、とてもうれしかった。
でも、ある日気が付いてしまったのです。
私の中の彼女の順位は変わらないのに、Kの中の私の順位は、どんどん下がり続けている、非情な現実に。
女の子だったら、分かる人は多いのではないかな、と勝手に思います。
友達の順位って、あるでしょう?
1番の友達は1位。よく遊んでくれて悩みも聞いてくれるあの子は2位。みたいな。
Kの中のそれから、私はずるずると滑り落ちていったのです。
代わりにランクインしたのは、彼女に増えた、新しい友達の子達。
それに気付いたときに、私の地獄は始まった。
私は、何か強欲な願いをささげたでしょうか?
ヘテロの彼女に私を好きになってほしいなんて望みませんでした。
ただ、友達としてそばにいさせてほしい。
この願いは、私を地獄に落とさなくてはいけないほど傲慢ですか?
無宗教者のくせに、毎日のように信じてもいない神様に問い続けました。
え?たったそれだけのことを地獄と言うの?
そうお思いになる方も、もしかしたらいらっしゃるかも。
文章にすると、確かにたったそれだけなのですよね。
私だって思います。この程度のことに「地獄」なんて名前を付けていいのか、と。
でも、それでも、Kの側で過ごした日々の私が得た感情は、まさしく地獄の苦しみだったのです。
この話の続きはまた今度。
気が向いたときに書きます。